田園都市手帖

 第1回 田園都市の誕生と日本における田園都市発展の概説  1 2 3

田園調布駅  多摩田園都市構想は、1953年、東急電鉄会長五島慶太によって発表された「城西南地区開発趣意書」に始まります。横浜市、川崎市、大和市、町田市にまたがる多摩田園都市の開発は、開発計画総面積5000万平方メートルという民間事業としては国内最大規模のもので、日本の郊外ニュータウン開発の先駆となりました。
 多摩田園都市が他のニュータウンと異なる点として、田園調布同様、高級感が付与されたことが挙げられます。その要因には東急田園都市線の整備による都心への交通の利便性、文化施設、商業施設の充実、自然の豊かさなどがあるでしょう。こうしたイメージのよさから多摩田園都市は人気を博し、現在では50万人以上の人口を有する日本最大のニュータウンへと成長しました。
 しかし、当初イギリスの田園都市を手本とし、それを目指した多摩田園都市でしたが、ロンドンなどで提唱された「職住接近」は他のニュータウン同様、ほとんど実現されず、いくつかの企業の研究所や大学のキャンパスが進出しただけで、本格的な企業本社機能の移転は未だ行われていません。その結果、田園都市線のラッシュ時の混雑は全国一といわれるほどで、典型的な日本的郊外の様相を呈することとなりました。
 
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